Toppict>novel


例えどんなに親しい仲でも、あくまで他人は他人なのだ。

小さな道化と、願いと、花と
truth.4 ほんの少しのむかしばなしの


今朝、アドがパフォーマンスの後にアドとイェルカへ声をかけた初老の女性。
彼女は彼らが泊まった宿の主、マウラだった。

宿の中に入ると少し広めの空間に出る。
正面には受付用のカウンター。
端には来客用の円型テーブルが2グループ分設置されている。
今、そのテーブルのひとつの上には、淹れたばかりの紅茶が3人分並べられている。
テーブルを隔て、イェルカとアドはマウラと向かい合わせに座っていた。

開け放たれた窓から暖かな朝の陽と僅かに風が入り込む。
宿の中は心地よく快適な環境だ。
しかし、イェルカとアドは、今それに浸ることはできない。




彼女の話によると、この街ポルカラントには顔のよく馴染んだ道化師がいる。
道化師はたびたび街を訪れてはセントラルエリアへ赴き、芸を披露していく。
いつも2時間にも満たない短いパフォーマンス。
それでも彼が訪れるたび、
街はまるで年に一度に開催される祭のように盛大な賑わいを見せるのだ。

そしてつかの間の祭のあとは、
いつも道化師はこの宿に一泊だけして街を後にする。
その道化師こそがアドとイェルカの道化の師、シドである。

だがある日を境に、彼は街に姿を見せなくなった。
それ以降、行方は誰にも分からない。

「彼はどこに行ってしまったのだろうか。」
「もうこの街に来ることには飽きてしまったのか。」
「それとも何か事件に巻き込まれてしまったのか。」

しばらくの間は街中がそんな噂話で持ちきりであった。
そんな日々もやがては過ぎ去り、街は以前と同じ空気を取り戻していった。
それから何度か、いくつかの劇団たちがセントラルエリアを訪れたが、
シドのパフォーマンスの時ほどの人混みを見ることはなかった。

だがある朝、ポルカラントに朗報が訪れる。
セントラルエリア付近にある花屋の娘は石畳を駆けてゆく。
息を切らしながら、しかし満面の笑みを浮かべて。
娘はマウラに、「それ」を伝えに来た。

「道化師が街に来た!」

その言葉は嘘ではなかった。
しばらくぶりに騒がしく、人だかりのできたセントラルエリア。
その奥を覗くと、そこに立っていたのは見覚えのある芸を披露する道化師だった。
誰もが目の前の道化師に、かつて街中を賑わせた彼の姿を重ね合わせていた。

とはいえ、まだ荒削りな部分も残るパフォーマンス。
しかし、そこにはどこかシドの面影が見え隠れしていた。
それこそが、街中の人たちを見知らぬ道化師のステージへと集めさせ、
魅了した大きな要因だったのである。

無論、マウラもその一人だった。
同じ道化師なら、もしかするとシドのことを何か知っているかもしれない。
雨のような拍手の中でそんな僅かな希望を抱き、マウラは二人に声をかけたのだ。

だが、アドとイェルカもシドの行方を探っている身。
彼が行方を眩ませた原因も理由も何も分からない。
だからこそ2人は、彼に縁のあるであろうこの場所、ポルカラントに来たのだから。




「…ごめんなさいね。なんだか、変な期待させちゃったみたいで。」

暫しの沈黙の後、それを先に破ったのはマウラだった。
彼女は指先を組んだ両手をテーブルの上の乗せ、
申し訳なさそうに言葉を紡ぐ。

「いえ。ありがとうございました。
 シドさんがいつも出掛ける場所がここだったとは知りませんでしたから。」

それを聞いて、彼女は目を丸くする。
イェルカは、ああ、と一呼吸置いて言葉を続けた。

「3人でこの街に訪れたこともあります。
 でもシドさんは時々「出かけてくる」と一言だけ残して、家を空けるんです。
 どこへ行くかも伝えず、何の前触れもなく。」
「ふふっ、それもあの人らしいわ。」
「全くですよ。」

前触れもなく行方まで眩ませてしまうとは、予想外でしたがね。
イェルカはそう言うと、自分の席に置かれたカップを口元へと運ぶ。
小さくため息を吐けば、紅茶の湯気が僅かにゆらりと揺れた。

彼に放浪癖のあることは、彼女も知っていたようだ。
彼女はシドが宿に泊まりにきた際には、よく彼と酒を呑み交わしていた。
その度に、宿を空けられないマウラは、
彼から旅先で出会った人や出来事の話を聞かせてもらっていたのだという。
時には暴露話、時には懺悔話、時には自慢話。
一晩では語りつくせないのであろうその話は、
彼が酔いつぶれて寝てしまうまで続くこともあったらしい。

「でも、お弟子さんがいたとは知らなかったわねえ。」

マウラは微笑ましそうに二人の顔をまじまじと見つめた。
3人でポルカラントを訪れるときはいつも日帰りだったため、
宿には寄らずに素通りしていた。
そのため彼女はイェルカとアドとは初対面なのだ。

シドは何故か2人のことを彼女に話していなかったらしい。
彼ならば、自分は弟子を取るほどに偉くなったものだ、などと
冗談交じりに話すであろうにも関わらず、だ。
一体何故なのか、何か理由があるのか、それともただの気まぐれなのか。
それはイェルカにも、アドにも、マウラにも見当がつかない。

マウラは伏し目がちになり、手元のカップに視線をずらす。

「お互いに、あの人のことを知ってるようで知らなかったんだね。
 付き合いが短いわけじゃあないのに。」
「そうですね。俺達もあくまで他人ですから、もしかしたら、まだ…。」

マウラは十数年前から、イェルカとアドでも5年前から。
シドと一緒にいたにも関わらず、彼の全てを理解できていなかったのだ。
習慣や癖、趣味や特技。
そんなことですら5年越しに知ったこともある。

足元の影のように、四六時中ついてまわっているわけではないからだろう。
覚という妖のように、人の心を見透かせるわけではないからだろう。
どれだけ傍にいても、あくまで彼は他人であった。
例え彼と血の繋がった家族だったとしても、それは同じなのだろう。

イェルカは意を決したようにカップの中身を一気に飲み干し、
カタリ、と木製のテーブルの上に置いた。

「でも、まずはいなくなった理由を探るためにも、
 他に何か知っている人がいないか街を回ってみます。
 あの人に聞きたいことは山程ありますし。」

イェルカは席を立ち、それに続くようにアドもゆっくりと立ち上がる。
アドの席へ出されたカップは一度も手をつけられておらず、
その中の液体はぬるくなってしまっていた。

「紅茶、ごちそうさまです。」

イェルカは軽く一礼すると、アドと共に宿を後にしようとした。
だが、玄関へと向けられたアドの足がピタリと止まる。

「ちょっと待ってなよ。道化師さん。」

マウラが、アドを呼び止めたのだ。
彼女はアドの両手に収められた花束をそっと持ち上げる。
それを手にカウンターの裏に回り込み、屈みこんだ。

キイと戸棚を開く音が聴こえたかと思うと、
今度はカチャカチャと薄いガラス同士の触れ合う音が響く。
やがてカウンターの上に何かが置かれた。
それは鮮やかな黄色を引き立たせる、透き通るような藍色の花瓶だった。

「綺麗なダリアだもの、飾ってあげなきゃ可哀想だよ。」

自立しない花束を横倒しにしておきたくなかったのだろうか、
アドは座っている間もずっと両手に花束を収めていた。
マウラはイェルカとの話の最中にもその事を気にかけていたのだ。

花の周りに巻かれていた紙の装飾が外され、茎を結んでいた紐が解かれる。
そうして花瓶に移し変えられたダリアは、
窮屈な部屋から開放されたかのように咲き誇って見えた。

同じものでも置かれた状況でこんなにも印象が変わるのかと、
アドはそれを眺めていた。

「どうしようか。あんたたちの部屋に置いておこうか。」

アドは、顔を覗き込む彼女と確かに目を合わせた。
しかしその視線は彼女を通り越し、どこか遠くを見つめていた。
そこには今朝のような覇気が見受けられない。

「あ…ああ、はい。ありがとう、ございます。」

一体何に気を取られていたのだろうか。
宿の中でアドが発した言葉は、それきりであった。

これがポルカラントでの1日のはじまりだった。


go to next truth?




身近にいる人のこと程よく知らなかったりしますよね。
これとこの次のtruthはもともと一つでした。
でも昔話がやたら長くなったので分けたのでした。